静かに全ての話を聞いてくれた彼。少し怒っていた様だったけれど、きっとどうにもならない事を悟ってくれたのだろう。 本当はもう少し話をしていたかった。折角仲良くなれたのに。 友達でもない、恋人でもない、何にもなれない、でもとても仲良くなれたと私は思う。 これは決して自惚れでは無い。 最後の日、私の20回目の誕生日。日付が変わるまで祝ってくれると言う友人達にごめんね、と告げて。 私はいつもより2時間以上早く床についた。 彼がいつ現れても良いように、少しでも長く居られるように。 タイムリミットは、もう直ぐ其処に来ていた。 ぱちり。またあの場所で目を覚ます。 ぐるりと辺りを見渡すと、驚いた表情の彼を目が合った。 まるで初めて会った時みたいで、数日前の出来事なのに懐かしくなって笑った。 数日前と変わった事と言えば、其れに彼が同じ様に笑って返してくれるようになった事。 其れから、きっとこれは神様のプレゼントなんだろうけれど、壁にかかっていた時計の針が今日だけ動いている事。 「こんばんは、今日はいつもより早いんだね」 「こんばんは、そっちこそ」 本当の所いつもは時間が解らないから、早いか遅いかなんてわからないけれど。時計の針が指し示す時間は、いつもの私の就寝時間より30分程早かった。 だから多分、筧君も少し早く、眠ったんだろう。 其れだけの事がとても嬉しかった。 「さん、誕生日おめでとう」 「ありがとう」 「プレゼントは渡せねえけど、さ」 こつこつと筧君の大きな手がガラスを叩く。透明なガラスは薄い筈なのに、とても硬くて向こう側が遠い。 私は笑っていつもの場所に座った。ガラスを挟んで向こう側に筧君が座る。 いつも通りの位置。今日で終わってしまう。 何の話をしようか、今日一日ずっと考えてた筈なのに何も思い浮かばなかった。 「誕生日何かもらったのか?」 「え、あー、んと。友達からぬいぐるみとか、クッションとか、えーと……ぬいぐるみとか」 「凄ぇ、偏ったプレゼントだな」 「私もそう思う。けど、何か皆私にって言うとそうなるらしくて……」 一瞬筧君の目が、納得の色を宿したのを見逃さない。絶対私を子ども扱いしてる。 どうせ!どうせ私は子供っぽいですよぅ! 20歳になったのにぬいぐるみとかが似合いますよーだ! 「……ああ、でも彼氏とかからはもっと良いものもらったんだろ?」 「彼氏?居ないよ、私。ちょっと前に別れちゃったから今フリー」 へらっと笑うと筧君は微妙な顔をした。悪い事を聞いてしまった、とか思ったのだろうか。別にそんな事は無いのに。 付き合っていた時は好きだったけれど、今はきっぱりと別れているのだから。 少しだけ気まずい雰囲気に、視線を彷徨わせる。 「何で、違うんだろうな」 「え?」 「俺とさんの世界」 其れだけ言って筧君は口を噤んだ。けれど時計の針は止まらない。少しずつ少しずつ進んで行く。 「其れは私も思ってたよ。でもさ、同じ世界に居たとしたら、多分私と筧君、こんな風にはならなかったよね」 「ああ」 「だから、寂しいけど私これで十分だよ」 「………」 「すっごく、楽しかった」 たった数日間の出来事だったけれど私は決して忘れない。 何より楽しくて、面白くて、嬉しくて、悲しかった。 「後、十分かぁ………」 「アンタの誕生日終わるな」 「うん、色々と終わっちゃう」 終わらなければ良いのに、って言葉は叶わない事を知っているから飲み込んで無かった事にした。 そんな事を言っても仕方が無い。後十分、筧君の傍に居られればそれで充分だから。 恋じゃない、これは決して恋じゃない。 こんなに儚い、これは決して恋じゃない。 「ねえ、筧君。私今日誕生日なんだよ」 「知ってる。おめでとうって最初に言っただろ」 「うん。だからさ、1つお願いして良いかな」 「何」 筧君の顔を見上げて笑う。 今までで一番綺麗に笑えていたら嬉しい。 「キスしない?ガラス越しだけど」 「良いぜ」 なるべく軽い口調で言った言葉に、筧君は躊躇わず笑って頷いた。 これは決して恋なんかじゃない。 ドキドキしない、傍に居ても、そんな感情なんてない。 時計の針がゆっくりと動く。ゼロになる時間に向かって。 こつんと額をガラスに当てると筧君も同じ様にガラスに近付いた。 ガラス越しだけど余りにも近い距離に、どちらから共なく笑い出す。 そして笑いながら触れるだけのキスをした。 「変なのー」 「そりゃこっちの台詞だって」 「あ、其れもそうか」 声を上げて思い切り笑って、時計の針の音を聞く。 最後の一分、秒針を見つめたまま私は口を開いた。 「今まで有難う。凄く楽しかった。私、痛い人だったけどさ、やっぱあの願いして良かったと思うよ」 少しでもこの気持ちが伝われば良いと思いながら言葉を紡ぐ。 「俺も楽しかった。さんが願い事してくれて良かった」 思わぬ筧君の言葉に驚いて彼を見ると、今まで見た事の無い笑顔で私を見ていた。 「誕生日おめでとう。…さようなら、さん」 余りにも優しく笑うから、私もつられて笑った。 今度は自信がもてる。 私はきっと最高の笑顔で答えている。 「有難う。さようなら、筧君」 時計の針が一際大きな音を立てた時、全ては終わっていた。 私は何の変哲も無い自分の部屋で目を覚ます。 窓硝子の向こう側はベランダで、朝の光に溢れた世界が其処にあった。 其の景色を眺めながら、一度そっと唇に触れて、声を上げて笑った。 もう夢は見ない。
#7 どうか幸福でいて |