ラ ン ニ ン グ ハ イ 

 此処から一歩踏み出せばどうなるか、解っていた。頭でも感覚でも理解していた。
 正直な話、進みたくは無い。もっと彼等の走りを見ていたい。
 けれど、これは彼等が走り続ける為に必要な事。其の為なら、僕は全てを投げ出そう。


 メモリースティックとサーバーに必要なものだけ選んで保存。後はこれを彼に託さなければいけない。
 自分で告げられるなら一番良いのだけど、きっと其れは叶わないだろう。
 チームメンバー、主要人物、思いつく人物の連絡先をメモリースティックへ。




 其の中でひとつ、一番大切な名前で手が止まった。
 一緒に居たいから、とか自分の見る世界を見て欲しいからと言う手前勝手な理由で、沢山見なくて良いものを見せて来た。
 此処まで関わってしまったら、きっと何処まで行っても同じだろう。


 そう思うのに、僕の手は其れ以上動かなかった。
















 「ちっす」
 「いらっしゃい」
 毎週の様に学校帰りにが僕の部屋へやって来る。定休日には必ずと言って良い程訪れる彼を、いつしか僕も自然と待つようになった。
 連絡も無く来るから困ると言えば困るのだけど、告げた所で彼は改めないだろう。
 彼と出会ってから一年弱、だのに、まあそれでも良いかと思うようになってから随分経つ。
 悪くない感覚に、知らず笑んだ。
 は僕の事など気にした風も無く、ぱらぱらとテーブルに置いてあったA・Tの雑誌を流し見ている。
 最近A・Tに触れる機会が増えたから興味が出たのかと言えばそうではない、唯暇だったから近くにあった雑誌に目を通している。其れだけ。




 雑誌を興味無さそうな様子で捲るの傍へ珈琲を置く。彼は直ぐに顔を上げて「さんきゅ」と笑った。
 彼が購入し、いつの間にか置かれていた彼専用のマグカップ。第三者の視点から見ればこの部屋には不似合いな其れだが、部屋の主としてはとても好ましい。
 此処に他人が居る事実がこんなに暖かなものだとは思っても居なかった。其の相手がって言うのが癪だから、絶対に言ってやらないけど。
 興味なんて欠片も無いくせに、珍しく雑誌から目を離さないに僕は首を傾げた。
 いつもなら珈琲を出された時点で雑誌を放り投げるのに(そして其れを拾うのは僕の役目だ。ああ、何て不精な男だろう)


 「何か気になる事でもあった?」
 「ん?」
 僕の声にが顔を上げる。きょとん、とした表情を見せ「ああ」と苦々しげに呟いた。
 「美鞍達が探してるパーツがどーのこーの言ってたけど、其れ載ってる雑誌が見つからないらしくてな。んで、スーの家に雑誌とか結構あるぜ、って話したら探して来てくれだとよ」
 嫌そうに言いながら頁を捲る。本当に、面倒くさがりなのに面倒見が良いんだから。矛盾してるのに、両立してるのが不思議だよ。
 「どんなパーツ?」
 「えーと……何だったかな、ホイールだったのは覚えてんだけど。何か、こういう……」
 思い出そうとしているのか、形で表現しようとしているのあ両手が不思議な動きをする。
 ぶっちゃけ、さっぱり分からない。
 「、其れじゃ分からないよ」
 「……だよなぁ。あー、メンドイし、もう良いや。しーらね!」
 あっさり諦めては雑誌を放り投げた。結局此処に行き着くわけだ。
 放り投げられて無残な形になった雑誌を拾いながら、思う。
 これも、其のひとつになるかもしれない。



 「必要なら持って行くと良いよ」
 「んあ?」
 「雑誌。少し前のも取ってあるから、持っていてあげなよ。僕はもう読んだからさ」
 は僕の言葉にぱちぱちと瞬いて、猫の様に笑った。
 「さんきゅ。其の方が早えや」
 「全くだよね。君が探してたら一生かかっても見つからないよ」
 探す気も無いだろうし、と続ければは楽しそうに笑った。
 彼らに残せるもの、もうひとつ。
 出来れば悔いの無いようにして行きたい。其れは思わぬ枷になってしまうから。

 「ついでだし、もA・Tやってみたらどうだい?一度くらい良い経験になると思うけど」
 「やだ。めんどい。っつーか、俺そんなに運動神経良くねえし、こけて怪我するのが関の山だろ」
 「うん、まあ其れは否定しないけどさ。経験として」
 一度だけで良いから見せたかったんだろう。ずっと燻っていた感覚。
 生涯二度と現れないだろう存在に、一度で良いから僕の見た綺麗な景色を見せたかった。
 「―――――スー、お前」
 が僕を見上げて、眼が合った瞬間にそらされた。
 雑誌を見ていた時より苦々しげな表情に、気付かれたのか、と思った。鈍そうに見えて意外と鋭い彼の事だ、いつか気付くとは思っていた。否、どちらかといえば僕の方が気付いて欲しかったのかもしれない。
 だから分かり易い意思表示で、彼の中に答えを植え付けた。
 断るなら断ってくれても良い。諦めがつく。


 「お前さ、今何か大変な事になってんだろ?俺はちらっと見ただけだから、よく知らねえけど」
 「うん、大きなコトが起きる。僕は『王』だからね、良くも悪くも其の中心さ」
 少なくとも今は、まだ。
 「だったら」
 はそこで一旦言葉を切って、真っ直ぐ僕を見上げた。
 「全部終わったら、俺にA・T教えろよ。そん時は寝ないでちゃんと講習受けてやるから」
 強い意志を宿した眼の奥が揺れている。こんな所まで、正直だ。
 其の言葉に息を飲んで、僕は笑った。
 彼は何処までも彼だ。其れがとても嬉しい。
 「うん、じゃあ全部終わったら教えるよ」
 「分かり易く教えろよ」
 「良いよ」
 素直に頷いて笑った。
 「やる気無し、根性無し、面倒くさがりの君に教えられるのは僕くらいだしね」
 僕の言葉にはむくれて、五月蝿いと悪態をついた。
 優しい雰囲気に包まれて、僕は彼から強引に渡された枷を大事に抱きしめた。








 飛び立つ前、最後の時間。メモリースティックにの名前を追加した。
 結局最後まで巻き込む事になってしまったけれど、きっと彼なら許してくれるだろう。
 「どんな事になっても、いつか、必ず帰ってくるから」
 胸の中で枷が熱く、燃えていた。





 カミサマカミサマ、もしこの世界の何処かにいるのなら。この世界を何処かで見ているのなら。
 罪の子から、ひとつだけお願いがあります。
 もし今後、どんな恐ろしい事態が起こったとしても、彼を助けてあげて下さい。





 彼は僕の、大事な親友なんです。










  生きる理由
 (死んでも構わないと思って此処を発つのに生きる理由が出来てしまった。君は本当に何処まで僕を。嗚呼、涙が零れるよ)