ラ ン ニ ン グ ハ イ
定休日を教えてから、は度々家に来るようになった。
当初は事前に居るかどうか、暇か否かを確認していたが最近は其れもなくなって来ている。其れだけ彼との距離が埋まっているのだろう、と思うと嬉しさがこみ上げてくるが、決して口にする事は無い。
其の言葉をに伝える気が無いし、そもそも彼はそんな言葉望んでいやし無いだろう。
告げたら心底嫌そうな顔をするか、この世の終わりの様な表情をするか。
其れはとても面白い顔だと思うけれど、言葉を告げる事と天秤にかけたら此方の方が少しだけ重い。
重いから、口にしない。
気まぐれに訪れたに、いらっしゃいと声をかけるだけ。
久しぶりに訪れたは、ぼすん、と鈍い音を立てて定位置のソファへ寝転がった。
其れだけなら特に気にする事も無かった。だが、同時に大きな溜息が聞こえてきて思わず僕は振り返る。
常にのらりくらりと世間の波をかわしている―――と同時に別の波にさらわれているけれど―――彼が、珍しく大きな溜息をついている。
眉をしかめたり、嫌そうな顔をするのではなく、溜息。
しかも、其れが呆れたから出たものではなく、真逆のものだ。言うのが僕の驚きの原因だっただろう。
この部屋に来て、ソファに寝転がって、安堵の溜息を吐く。
何か相当嫌な事があったのだろうか。
其れともこの部屋が、彼にとって自宅とも言える場所にまでなったと言う事だろうか。
もしそうであるなら、嬉しいと思う。
思うけれど、多分違うだろうというのが正直な所。
彼用に甘さを抑えたカフェオレを作りながら、そんな事を考えた。
後ろからは先程聞いた溜息がもう一度聞こえてくる。
これは、本当に何かあったのかもしれない。
ほんの少し、彼を案じる気持ちが沸いて来る。
其れでもほんの少し。
決してが嫌いなわけではなく、唯、彼が命に関わる様な出来事には絶対に顔を突っ込まないと言う確信があるから。
だから其処まで心配する様な事は無い、と思っていたのだけど。
作りたてのカフェオレを両手に持って、に近付く。
気配を感じてか、ゆっくりとは顔を上げた。
「カフェオレ?」
「正解」
熱いから気をつけて、とカップを差し出すと彼は頷いてそっと其れを受け取った。
カフェオレを飲む彼の表情を、気付かれない様にそっと盗み見る。見た所、何時もと変わらない様だけど本当に何か抱えているのだろうか。
2度も聞こえて来たあの溜息がどうしても気になって、僕は口を開いた。
「」
「んー?」
「何か悩みでもあるの?」
「……はあ?!」
僕の疑問に素っ頓狂な声が返って来る。
どうやら違ったらしい。
「何でそんな事を唐突に」
マグカップを握ったまま驚いた顔で僕を見るに、曖昧な笑顔を見せて「少しね」と応える。
「ちょっと疲れてるのかなって思っただけ」
「俺が?
「君が」
亮平は僕を見たまま数回瞬きして、柔らかく微笑んだ。
馬鹿笑いでも、呆れた様にでもない、初めて目にする表情に少し驚く。
彼もこんな風に笑えるのか、と友人の新しい部分を見つけた様で胸が躍った。
「大した事じゃねえよ。昔からの……あー、特異体質っつーか、なんつーか」
「どういう事?」
マグカップをテーブルに置いて、は自分の耳を指す。
「聴覚異常っつーか、異常聴覚っつーか。俺、人より耳が良いらしくてな」
「良い事じゃないの、其れ」
「まさか。他の人間が普通に生活できる音でも、俺にとっては騒音になるんだぜ?ライブ会場なんか行った日にゃあ、暫く耳は使い物になんねえし。俺の耳は、違う意味でイカレてるんだよ」
とんとん、と指が耳を叩く。
何でも無い事の様に告げられたが、其れは相当な事じゃないんだろうか。
例えば僕らが気にしない雑踏も、もしかしたら心地良い音楽や涼やかに聞こえる風の音でさえも彼にとっては騒音になるのではないか。
「大教室の授業とかは悲惨でさ、まあ、聞きにくい教授の声を聞き漏らさないって利点もあるんだけど」
発した声に悲痛な色が無いのが救いだった。
全てを乗り越えたのか、感受したのか。なら、面倒くさいから諦めた、が一番正しいかもしれない。
「まあ今更気にするもんでもないからな」
「其れならどうして溜息を?」
「ん?……ああ、其れ気にしてたのか」
げ、と嫌な声を出して苦虫を噛み潰した様な表情で僕を見る。
何処かばつが悪そうに見えるのは気のせいじゃないだろう。
「どうして?」
「何でも良いだろ」
「良くないから聞いてるんだよ、」
じっと見つめて告げると、はぐっと押し黙った。
どうやら彼はこう言う行為が苦手らしい。待つのが苦手なのか、唯単に押しに弱いだけなのか。
……両方かもしれない。
「―――――此処は、」
「うん?」
「外に比べて音が少ないから――――その、安心できるんだよ」
相当恥ずかしいらしく、顔を赤くして目線を反らして吐かれた言葉は予想外にも程があった。
理由がどうあれ、安心できると、唯其の一言に胸が躍った。
嬉しい、と素直に感じる。
どうやら思っていた以上に彼との距離は縮まっていたらしい。
今度は僕が安堵の息を吐いて、ゆっくりとソファに身を沈めた。
「そっか」
「ああ」
「凄く大変な話だったけど、予想より面白くなかったなあ」
嬉しい、を前面に出すのが嫌で態とひねくれた言葉を発すれば直ぐに彼は反応を示す。
そうそう、これが何時もの僕ら。何時もの僕らの距離。何時もの僕らの会話。
「折角だからもっと話してよ」
「絶対に嫌だ!!」
「失敗談とかで良いから」
「笑いものにする気満々じゃねえか!!!」
噛み付くに声を立てて笑う。
からかいの笑いよりも、喜びの笑いが勝っていたのに彼はきっと気付かないだろうけれど。
当初は事前に居るかどうか、暇か否かを確認していたが最近は其れもなくなって来ている。其れだけ彼との距離が埋まっているのだろう、と思うと嬉しさがこみ上げてくるが、決して口にする事は無い。
其の言葉をに伝える気が無いし、そもそも彼はそんな言葉望んでいやし無いだろう。
告げたら心底嫌そうな顔をするか、この世の終わりの様な表情をするか。
其れはとても面白い顔だと思うけれど、言葉を告げる事と天秤にかけたら此方の方が少しだけ重い。
重いから、口にしない。
気まぐれに訪れたに、いらっしゃいと声をかけるだけ。
久しぶりに訪れたは、ぼすん、と鈍い音を立てて定位置のソファへ寝転がった。
其れだけなら特に気にする事も無かった。だが、同時に大きな溜息が聞こえてきて思わず僕は振り返る。
常にのらりくらりと世間の波をかわしている―――と同時に別の波にさらわれているけれど―――彼が、珍しく大きな溜息をついている。
眉をしかめたり、嫌そうな顔をするのではなく、溜息。
しかも、其れが呆れたから出たものではなく、真逆のものだ。言うのが僕の驚きの原因だっただろう。
この部屋に来て、ソファに寝転がって、安堵の溜息を吐く。
何か相当嫌な事があったのだろうか。
其れともこの部屋が、彼にとって自宅とも言える場所にまでなったと言う事だろうか。
もしそうであるなら、嬉しいと思う。
思うけれど、多分違うだろうというのが正直な所。
彼用に甘さを抑えたカフェオレを作りながら、そんな事を考えた。
後ろからは先程聞いた溜息がもう一度聞こえてくる。
これは、本当に何かあったのかもしれない。
ほんの少し、彼を案じる気持ちが沸いて来る。
其れでもほんの少し。
決してが嫌いなわけではなく、唯、彼が命に関わる様な出来事には絶対に顔を突っ込まないと言う確信があるから。
だから其処まで心配する様な事は無い、と思っていたのだけど。
作りたてのカフェオレを両手に持って、に近付く。
気配を感じてか、ゆっくりとは顔を上げた。
「カフェオレ?」
「正解」
熱いから気をつけて、とカップを差し出すと彼は頷いてそっと其れを受け取った。
カフェオレを飲む彼の表情を、気付かれない様にそっと盗み見る。見た所、何時もと変わらない様だけど本当に何か抱えているのだろうか。
2度も聞こえて来たあの溜息がどうしても気になって、僕は口を開いた。
「」
「んー?」
「何か悩みでもあるの?」
「……はあ?!」
僕の疑問に素っ頓狂な声が返って来る。
どうやら違ったらしい。
「何でそんな事を唐突に」
マグカップを握ったまま驚いた顔で僕を見るに、曖昧な笑顔を見せて「少しね」と応える。
「ちょっと疲れてるのかなって思っただけ」
「俺が?
「君が」
亮平は僕を見たまま数回瞬きして、柔らかく微笑んだ。
馬鹿笑いでも、呆れた様にでもない、初めて目にする表情に少し驚く。
彼もこんな風に笑えるのか、と友人の新しい部分を見つけた様で胸が躍った。
「大した事じゃねえよ。昔からの……あー、特異体質っつーか、なんつーか」
「どういう事?」
マグカップをテーブルに置いて、は自分の耳を指す。
「聴覚異常っつーか、異常聴覚っつーか。俺、人より耳が良いらしくてな」
「良い事じゃないの、其れ」
「まさか。他の人間が普通に生活できる音でも、俺にとっては騒音になるんだぜ?ライブ会場なんか行った日にゃあ、暫く耳は使い物になんねえし。俺の耳は、違う意味でイカレてるんだよ」
とんとん、と指が耳を叩く。
何でも無い事の様に告げられたが、其れは相当な事じゃないんだろうか。
例えば僕らが気にしない雑踏も、もしかしたら心地良い音楽や涼やかに聞こえる風の音でさえも彼にとっては騒音になるのではないか。
「大教室の授業とかは悲惨でさ、まあ、聞きにくい教授の声を聞き漏らさないって利点もあるんだけど」
発した声に悲痛な色が無いのが救いだった。
全てを乗り越えたのか、感受したのか。なら、面倒くさいから諦めた、が一番正しいかもしれない。
「まあ今更気にするもんでもないからな」
「其れならどうして溜息を?」
「ん?……ああ、其れ気にしてたのか」
げ、と嫌な声を出して苦虫を噛み潰した様な表情で僕を見る。
何処かばつが悪そうに見えるのは気のせいじゃないだろう。
「どうして?」
「何でも良いだろ」
「良くないから聞いてるんだよ、」
じっと見つめて告げると、はぐっと押し黙った。
どうやら彼はこう言う行為が苦手らしい。待つのが苦手なのか、唯単に押しに弱いだけなのか。
……両方かもしれない。
「―――――此処は、」
「うん?」
「外に比べて音が少ないから――――その、安心できるんだよ」
相当恥ずかしいらしく、顔を赤くして目線を反らして吐かれた言葉は予想外にも程があった。
理由がどうあれ、安心できると、唯其の一言に胸が躍った。
嬉しい、と素直に感じる。
どうやら思っていた以上に彼との距離は縮まっていたらしい。
今度は僕が安堵の息を吐いて、ゆっくりとソファに身を沈めた。
「そっか」
「ああ」
「凄く大変な話だったけど、予想より面白くなかったなあ」
嬉しい、を前面に出すのが嫌で態とひねくれた言葉を発すれば直ぐに彼は反応を示す。
そうそう、これが何時もの僕ら。何時もの僕らの距離。何時もの僕らの会話。
「折角だからもっと話してよ」
「絶対に嫌だ!!」
「失敗談とかで良いから」
「笑いものにする気満々じゃねえか!!!」
噛み付くに声を立てて笑う。
からかいの笑いよりも、喜びの笑いが勝っていたのに彼はきっと気付かないだろうけれど。
きみの話
(少しずつ侵食してくる温度が心地良い)