#03 //

 行き先故か、乗車駅の問題か、乗り込んだ電車は比較的空いていた。少なくとも、私があちらで普段乗る電車よりは随分空いていると思う。
 学校近くのマンションを借り、1人暮らしをしていたから通学、通勤ラッシュと言うものには縁が無かったけれど学校の友達はいつも朝からぐったりしていた。
 だからこの状況には少しだけ拍子抜けして、少しだけほっとした。
 朝から人の波に揉まれては行きたくない。

 空いていた席に腰掛けて、流れて行く景色に目を向ける。乗る前に確認した路線図から目的地までは少し遠い。
 時間かかるんだろうな、と考えた途端欠伸が出た。
 何だか、少し眠い。










 ぱちり、と音がしそうなほどはっきりと、突然目が覚めた。
 先程まで感じていた眠気は欠片も無く、目の前に広がるのは今日初めて乗った電車の内装。
 けれど、私以外の全てが欠けている。
 気だるげに乗り込んでいた人達が居ない。窓の外の風景が変わらない。其れでも電車は走り続ける。
 それだけでもおかしい出来事なのに、不思議な事に、私はこのおかしな現象を『おかしい』と感じていなかった。
 私がこの電車に乗って、この減少に行き着くことが必然であるような感覚。
 幾度か瞬き、隣に誰か座っている事に気付いた。
 真っ白なパンツ、真っ白な靴、真っ白なシャツから伸びた真っ白な腕。其処から上は見えない。顔を向けても其の顔を私の頭が認識できない。
 そして私は其れを、そう言う存在なんだと理解した。
 「久しぶりだね、
 男とも女とも、老人とも子供とも分からない声。聞き覚えがあった。
 と、言うよりもこんな奇妙な声の持ち主には生まれてから一度しか会った事が無い。
 「貴方、あの時の」
 夢の中で筧君と出会わせた存在。
 名前、違う名前なんて最初からなくて、そうだ。
 「神様」
 呟くと神様は少し笑った様だった。其の呼称に笑ったのか、私がそう呼んだ事に笑ったのかはよくわからなかった。
 ただ、今まで聞いてきた声よりも少し人間の様な感情が混じっていた様な気がしたから、少しだけ驚いた。
 神様にも感情なんて俗なものがあるんだ。
 「今回も貴方なんでしょ。どうして?私は何も願っていないのに」
 何も、は真実では無いけれどあの時の様に真っ直ぐひとつの事を願ったわけではなかった。
 どうして、と認識できない顔を見て問い掛ける。
 「今回は独断だよ。誰の願いでもない」
 でもそうだな、神様は少しだけ言い澱んで笑った。
 顔が見えないから確かにそうかと聞かれると首を傾げるけれど、多分神様はこの時笑っていた。
 「敢えて誰の、と言うのなら僕自身の願いだよ。僕がに会いたくて、こういう方法を取ったんだ。が元々居た世界は僕と近過ぎて君とこうして会う事は出来ないんだよ」
 「何、それ。良くわからない」
 「理解出来なくても良いよ。必要の無い知識だから」
 私が首を傾げると、神様は優しい声でそう告げた。
 神様の声はいつも優しくて、残酷だ。優し過ぎて逆に全て拒絶されている気分になる。
 私は顔を背け、少しだけ俯いて神様に問い掛ける。
 「私に会う事が目的なら、もう私は帰っても良いんでしょう?」
 「が帰りたいのならば、帰す事は可能だよ。だけど、直ぐには帰せない。歪みが発生してしまうから」
 「どういう事?」
 神様の声に顔を上げると、神様の顔が此方を見ていた。
 顔は見えない、神様に人間の様な目と言うものがあるのかもわからない。だけど真っ直ぐに見られている。
 「今はあちらの世界の君と、こちらの世界の君を一時的に入れ替えている状態だけど、余りにも頻繁に交換してしまうと君の魂が傷付いてしまう。だから少しの猶予を持たせないと危険なんだよ。傷が付いてしまうと、もう今までの様な生活が出来なくなってしまうからね」
 淡々と神様が告げる。
 私は今、神様のわがままに巻き込まれているんだろう。ならば、私には怒る権利がある筈だ。例え相手が神様だとしても、今回ばかりは見逃してもらえるだろう。

 だけど、私の中に怒りは無い。
 緩やかな不安と恐怖と、切なさがあるだけだ。


 「少しってどのくらいなの?」
 「前回と同じ、一週間だよ。其れより早ければ魂が傷付いてしまう。其れより遅ければ魂が世界に定着してしまう」
 「魂が定着?」
 「元の世界に帰れなくなるって事だよ」
 どきり、と心臓が大きな音を立てた。


 「帰るのも、残るのも君が決めて良い。僕の我侭につき合わせてしまったんだから。ごめんね、。もう一度君に会えて僕はとても嬉しかったよ」
 其の瞬間神様が、風の様に笑った事に気付いた。
 何か告げたかったのに、瞬いた直後視界に広がったのは極普通の車内風景だった。
 疲れた表情のサラリーマン、眠そうな女子高生、戻ってきたのだと気付くのに少しの時間がかかった。
 見覚えの無い景色が窓の外を走る。  自分勝手に私を呼んで、自分だけ告げたい事を告げて消えてしまった。きっと一週間後まで会う事は無いだろう。

 「私はどうしたら良いのよ」

 子供の様に泣きたい気分で呟いて、鞄を握り締めて溢れそうな涙を堪えた。









  夢現
 (車内アナウンスが告げる駅名に、胸の奥が切なく痛んだ)