ラ ン ニ ン グ ハ イ
「だあ!もう、ふざけるな!」
怒鳴って俺はスー達に背を向けた。其の背にスーののんきな声がかかる。
「あれ、何処行くの?」
「便所だよ!馬鹿野郎!」
吐き捨てる様に言えば、間髪入れずスーが噴出した。自分でも餓鬼みたいな言い方だと分かっているから、反論の使用がない。
が、怒りはメーター振り切っている。
肩を震わせながらひらひらと手を振るスーの背中に、後で絶対蹴りを入れると誓いながら俺は其の場を後にした。
正直な話、ギリギリだった気がする。
音が少し遠くなった瞬間、どっと痛みが押し寄せてきた。
「は、っ」
息を大きく吸って、吐いて、吸って。繰り返す深呼吸。
吐き気はスーとの馬鹿みたいな会話で治まったけれど、その代わりに耳鳴りが酷い。
「痛ぇ……」
耳栓を持ってくるべきだったかもしれない。普通のライブならこんな事は無かっただろうけど、此処の空気は独特で異常だ。
俺の聴覚を容赦なく痛めつけてくる。
「―――耳が良いって、誇れる特技ではあったんだけどな」
両掌で耳を塞ぐ。ほんの少し音が遠くなって、其れと同時に深く深く深呼吸。
首筋から脳天へ突き抜ける様な痛みが引いたのを確認し、少しずつ掌をずらして音を受け入れる。
暴力的な音に眉をしかめつつ、また深呼吸。
少しずつ少しずつ鳴らしながら音を受け入れていく。こめかみの辺りがぴりぴりしたが、最初ほどの痛みは無い。
いるものといらないもので区別出来たら楽なんだけど、ライブ会場に行く度に毎回思う事だ。
掌を全て外して、此処にある音を全部聴覚で受け止める。
痛みはある物の、うん、このくらいなら。
「何とか、なるかな」
わんわん響く音にまた眉をしかめつつ、俺は元来た道を戻りだす。これ以上時間をかけては不名誉な台詞を言われてしまいかねない。
紳士面しているが、奴なら言いかねない。相手が俺なら絶対遠慮もなくなるしな。
「っし!」
気合を入れ、俺は大きく一歩を踏み出した。
俺が会場に脚を踏み入れた時、聞こえてくる音に違う何かが混ざっているのに気付いた。歓声も罵声も怒声も嬌声もある、プラスして何故か多数の機械音。
「あ?」
首を傾げながら会場の、奴らが待っているだろう場所に向かって歩き出す。
中に来ると更に良く分かる其の音の激しさ。何だ、これ。シャッター音?
そして、其の中から聞こえてくる2人の少女の声。
「スー、何だこれ」
見上げた先に見てはいけないものを視界に入れてしまい、そっと視線をそらして俺は問いかけた。
目線が生温くなるのは仕方が無いだろう?だって、どっちも知り合いなんだ。
「ああ、お帰り。今痴女決定戦が行われている所だよ」
はは、と無駄に爽やかな笑みでスーは答えを返してくれた。何でかな、今無性にこいつを殴りたい。
「痴女って、他に言い方…は無いけど、もう少しオブラートに包んでやれよ。どっちも知り合いだろ?」
はあ、と溜息と吐くとスーの隣に居た美少年が瞬いた。
ん?誰だ?
「お前、あれがシムカだって気付いたのか?」
少年らしい少し高い声と、其れに似つかわしくない大人びた音の響かせ方。聞き覚えがあった。それもついさっき。
「ああ、お前く……鵺か」
「く?」
隣で首を傾げるスーは当然無視。黒いのって言いそうになったんだ、なんて本人目の前にして言える訳が無い。
本人の前じゃなくても言わないけどな。
「さっきまでメット被ってたから気付かなかった。お前美少年だなあ」
美青年と美少女にプラスして美少年って、すげえな、美形のインフレだ。平凡顔の俺がマイノリティ。
本気で感動してそんな事を考えていると、黒いのは眉をしかめて「質問に答えろ」と更に問い詰めてきた。
質問の答えね、大した事じゃ無いんだけど。溜息を吐いて俺は種明かしをした。
「声だよ。後A・Tの音。さっき聞いたばっかの響きだったし。スク水の方があの子だろ。あっちの際どい方は前に東中で会ったな」
大人しそうな子だったのに、まさか露出趣味だったとは。嘆かわしい。
大袈裟に溜息を吐くと黒いのが「森の女王を知ってるのか」と呟いて息を飲んだ。
………?其れってどっかの風俗店ですか?残念ながら、俺は一度も玄人のおねーさま方にお世話になった事は無いんだが。
いやいや、もし風俗店だったとしても、其れを知ってる黒いのは年齢的にマズイよな。
考え込む俺の耳に新たな怒声が聞こえてきた。激しいバトルも終盤らしい。いつの間にか残りは二組になっていた。
「あれ、もう一組は?」
問いかける俺に、スーも黒いのも黙って視線をそらす。一体何が。
しかもよくよく見れば、何故か残りの2組が戦っている場所はボロボロになっている。元が古かったし、壊れでもしたのだろうか。
首を傾げちらりとスーを見上げる。
妙に真剣な表情だった。観戦というよりは観察に近い目線。戦いを見るのではなく、戦っている人間の一挙一動を頭に焼き付けているような見方。
此処まで来ても全く理解できない。何故、こいつは俺を連れて来た?
スーの視線を追う様にステージを見る。壊れたステージの上に1人の少女が立っていた。
顔までは見えないが、長い髪を靡かせたセーラー服の少女。華奢な姿がこの場の雰囲気にそぐわなかった。
あんな所に居たら危ないんじゃ、と思う前に景色と彼女がちぐはぐ過ぎて現実味が感じられない。
遠目に、彼女が小さく頷いたのが見えた。
ゆっくりと、だけどしっかりと。
「あ」
危ない、と言おうとしたのかもしれない。届かないだろう場所に向かって俺は何かを伝えようとして、轟音に声をかき消された。
視界の端に映った其れを最初知覚出来なかった。見えているのに理解が追いつかない。
鞭、違う、刃。風を切り裂き其処にある全てを破壊する、唯それだけの為の。
「 」
スーが何か黒いのに告げていた。だが、俺の耳は先程の衝撃で音が飛んでいる。
分かるのは辺りが恐ろしいほど興奮しているいる事と、展開が突然逆転した事。突破口を見出そうとする連中を、完全に圧倒している男が居ると言う事。
背筋を汗が伝っていた。恐ろしいと感じるのにこの一方的な戦いから目が離せない。
後ろに退きたい気持ちと前に進みたい気持ちが、同じ強さで俺の中に存在していた。
其れでも一歩、前に進みだそうとしてしまう。何故なのか自分でも理解できなかったが、思わず脚が前に動いていた。
「っあ」
瞬間バランスを崩す。あ、そうだ。耳にはバランスを保つ為の大事な器官があったような。
其の場に倒れそうになる俺の腕をスーが素早く掴む。
「 ――?」
微かに聞こえて来た声は分からなかったが、とりあえず「耳が」とだけ伝える。
其の一言で大体を理解したらしく、スーが頷いた。黒いのが不思議そうに此方を見ている気配がする。
スーの身体に掴まりながら立ち上がり、見上げた先で鳥が飛んでいた。
狭い箱の中、檻を破壊する程凶悪な風を纏った鳥が、凶悪な刃を持つ獣を粉砕する姿。
其れを見た瞬間、俺はもう前にも後ろにも進む必要は無いのだと理解した。
徐々に聞こえ始めた音、まだ掴まれたままだったスーの腕をゆっくり離してバトルの終焉を見つめる。
彼らは打ち勝った、目の前に立ちはだかった壁に。
ああ、やっぱり眩しいなあなんて思いながら、俺は笑った。
「――――ぞ」
と、黒いのが何事か呟く。
何を言ったのか聞き返そうとして、完全に聞こえるようになった俺の耳に飛び込んできたのは今日一番の怒声だった。
俺の耳、再び不調。
怒鳴って俺はスー達に背を向けた。其の背にスーののんきな声がかかる。
「あれ、何処行くの?」
「便所だよ!馬鹿野郎!」
吐き捨てる様に言えば、間髪入れずスーが噴出した。自分でも餓鬼みたいな言い方だと分かっているから、反論の使用がない。
が、怒りはメーター振り切っている。
肩を震わせながらひらひらと手を振るスーの背中に、後で絶対蹴りを入れると誓いながら俺は其の場を後にした。
正直な話、ギリギリだった気がする。
音が少し遠くなった瞬間、どっと痛みが押し寄せてきた。
「は、っ」
息を大きく吸って、吐いて、吸って。繰り返す深呼吸。
吐き気はスーとの馬鹿みたいな会話で治まったけれど、その代わりに耳鳴りが酷い。
「痛ぇ……」
耳栓を持ってくるべきだったかもしれない。普通のライブならこんな事は無かっただろうけど、此処の空気は独特で異常だ。
俺の聴覚を容赦なく痛めつけてくる。
「―――耳が良いって、誇れる特技ではあったんだけどな」
両掌で耳を塞ぐ。ほんの少し音が遠くなって、其れと同時に深く深く深呼吸。
首筋から脳天へ突き抜ける様な痛みが引いたのを確認し、少しずつ掌をずらして音を受け入れる。
暴力的な音に眉をしかめつつ、また深呼吸。
少しずつ少しずつ鳴らしながら音を受け入れていく。こめかみの辺りがぴりぴりしたが、最初ほどの痛みは無い。
いるものといらないもので区別出来たら楽なんだけど、ライブ会場に行く度に毎回思う事だ。
掌を全て外して、此処にある音を全部聴覚で受け止める。
痛みはある物の、うん、このくらいなら。
「何とか、なるかな」
わんわん響く音にまた眉をしかめつつ、俺は元来た道を戻りだす。これ以上時間をかけては不名誉な台詞を言われてしまいかねない。
紳士面しているが、奴なら言いかねない。相手が俺なら絶対遠慮もなくなるしな。
「っし!」
気合を入れ、俺は大きく一歩を踏み出した。
俺が会場に脚を踏み入れた時、聞こえてくる音に違う何かが混ざっているのに気付いた。歓声も罵声も怒声も嬌声もある、プラスして何故か多数の機械音。
「あ?」
首を傾げながら会場の、奴らが待っているだろう場所に向かって歩き出す。
中に来ると更に良く分かる其の音の激しさ。何だ、これ。シャッター音?
そして、其の中から聞こえてくる2人の少女の声。
「スー、何だこれ」
見上げた先に見てはいけないものを視界に入れてしまい、そっと視線をそらして俺は問いかけた。
目線が生温くなるのは仕方が無いだろう?だって、どっちも知り合いなんだ。
「ああ、お帰り。今痴女決定戦が行われている所だよ」
はは、と無駄に爽やかな笑みでスーは答えを返してくれた。何でかな、今無性にこいつを殴りたい。
「痴女って、他に言い方…は無いけど、もう少しオブラートに包んでやれよ。どっちも知り合いだろ?」
はあ、と溜息と吐くとスーの隣に居た美少年が瞬いた。
ん?誰だ?
「お前、あれがシムカだって気付いたのか?」
少年らしい少し高い声と、其れに似つかわしくない大人びた音の響かせ方。聞き覚えがあった。それもついさっき。
「ああ、お前く……鵺か」
「く?」
隣で首を傾げるスーは当然無視。黒いのって言いそうになったんだ、なんて本人目の前にして言える訳が無い。
本人の前じゃなくても言わないけどな。
「さっきまでメット被ってたから気付かなかった。お前美少年だなあ」
美青年と美少女にプラスして美少年って、すげえな、美形のインフレだ。平凡顔の俺がマイノリティ。
本気で感動してそんな事を考えていると、黒いのは眉をしかめて「質問に答えろ」と更に問い詰めてきた。
質問の答えね、大した事じゃ無いんだけど。溜息を吐いて俺は種明かしをした。
「声だよ。後A・Tの音。さっき聞いたばっかの響きだったし。スク水の方があの子だろ。あっちの際どい方は前に東中で会ったな」
大人しそうな子だったのに、まさか露出趣味だったとは。嘆かわしい。
大袈裟に溜息を吐くと黒いのが「森の女王を知ってるのか」と呟いて息を飲んだ。
………?其れってどっかの風俗店ですか?残念ながら、俺は一度も玄人のおねーさま方にお世話になった事は無いんだが。
いやいや、もし風俗店だったとしても、其れを知ってる黒いのは年齢的にマズイよな。
考え込む俺の耳に新たな怒声が聞こえてきた。激しいバトルも終盤らしい。いつの間にか残りは二組になっていた。
「あれ、もう一組は?」
問いかける俺に、スーも黒いのも黙って視線をそらす。一体何が。
しかもよくよく見れば、何故か残りの2組が戦っている場所はボロボロになっている。元が古かったし、壊れでもしたのだろうか。
首を傾げちらりとスーを見上げる。
妙に真剣な表情だった。観戦というよりは観察に近い目線。戦いを見るのではなく、戦っている人間の一挙一動を頭に焼き付けているような見方。
此処まで来ても全く理解できない。何故、こいつは俺を連れて来た?
スーの視線を追う様にステージを見る。壊れたステージの上に1人の少女が立っていた。
顔までは見えないが、長い髪を靡かせたセーラー服の少女。華奢な姿がこの場の雰囲気にそぐわなかった。
あんな所に居たら危ないんじゃ、と思う前に景色と彼女がちぐはぐ過ぎて現実味が感じられない。
遠目に、彼女が小さく頷いたのが見えた。
ゆっくりと、だけどしっかりと。
「あ」
危ない、と言おうとしたのかもしれない。届かないだろう場所に向かって俺は何かを伝えようとして、轟音に声をかき消された。
視界の端に映った其れを最初知覚出来なかった。見えているのに理解が追いつかない。
鞭、違う、刃。風を切り裂き其処にある全てを破壊する、唯それだけの為の。
「 」
スーが何か黒いのに告げていた。だが、俺の耳は先程の衝撃で音が飛んでいる。
分かるのは辺りが恐ろしいほど興奮しているいる事と、展開が突然逆転した事。突破口を見出そうとする連中を、完全に圧倒している男が居ると言う事。
背筋を汗が伝っていた。恐ろしいと感じるのにこの一方的な戦いから目が離せない。
後ろに退きたい気持ちと前に進みたい気持ちが、同じ強さで俺の中に存在していた。
其れでも一歩、前に進みだそうとしてしまう。何故なのか自分でも理解できなかったが、思わず脚が前に動いていた。
「っあ」
瞬間バランスを崩す。あ、そうだ。耳にはバランスを保つ為の大事な器官があったような。
其の場に倒れそうになる俺の腕をスーが素早く掴む。
「 ――?」
微かに聞こえて来た声は分からなかったが、とりあえず「耳が」とだけ伝える。
其の一言で大体を理解したらしく、スーが頷いた。黒いのが不思議そうに此方を見ている気配がする。
スーの身体に掴まりながら立ち上がり、見上げた先で鳥が飛んでいた。
狭い箱の中、檻を破壊する程凶悪な風を纏った鳥が、凶悪な刃を持つ獣を粉砕する姿。
其れを見た瞬間、俺はもう前にも後ろにも進む必要は無いのだと理解した。
徐々に聞こえ始めた音、まだ掴まれたままだったスーの腕をゆっくり離してバトルの終焉を見つめる。
彼らは打ち勝った、目の前に立ちはだかった壁に。
ああ、やっぱり眩しいなあなんて思いながら、俺は笑った。
「――――ぞ」
と、黒いのが何事か呟く。
何を言ったのか聞き返そうとして、完全に聞こえるようになった俺の耳に飛び込んできたのは今日一番の怒声だった。
俺の耳、再び不調。